Nov
8th
Sun
8th
だれにも夢とかあこがれというものがある。ことに芸術家の場合はそれぞれの個性によって異なる所はあるにせよ一般の人よりも強いのではないだろうか。しかし、そうしたあこがれは年齢と共に変化する。一般人の場合は社会の約束事にとりこまれることによっておおかた若い日のそれより力を弱めるものだ。
芸術家でも年齢を加えるにつれ自分の力量というか仕事の限界がみえてくる、するとある者は一般の人同様その熱っぽさが薄れるか、あるいはそんな自分を意識的にふるい立たせようとして苦しむ。
尾崎喜八という詩人のふしぎはこのあこがれが終生少年のときのような純度を保ちつづけたところにある。
(中略)
私には ときどき 私の歌が
何処かほんとうに遠くからの
たよりではないかという気がする。
北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで
苔のような貧しい草が
濃い紫の花から金の花粉をこぼす極北、
私の歌はそこに生れて
海鳥の暗いさけびや 海岸の雪渓や
森閑と照る深夜の太陽と共に住むのか、
それとも 空一面にそよかぜの満ちる
暗い春の夜な夜なを
天の双子と獅子とのあいだに
あるとしもなく朧に光るペルセペの星団、
あの宇宙の銀の蜂の巣、
あそこが彼の本国かと。
─「本国」─
— 『季刊銀花』1993年 冬 第九十六号
特集「高嶺の花 —山と人と書物をめぐる」
雲の上の文庫「尾崎喜八素描 その詩の世界—」
伊藤海彦 p.40 五 遠望
特集「高嶺の花 —山と人と書物をめぐる」
雲の上の文庫「尾崎喜八素描 その詩の世界—」
伊藤海彦 p.40 五 遠望