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mori de memento.

toi et moi.

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Nov
28th
Mon
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(前略)
 ノルウェーが自分たちの王様を持って完全にスウェーデンから分れるのは、一九〇五年のことだし、フィンランドの独立は一九一八年だ。フィンランドは、ロシア領になる前にはスウェーデン領だった。
 しかし、わしらサーメ族の者は国境など問題にせず、昔から北極圏内の野山を自由にトナカイを放牧して行き来している。もともとここらはラップランド――《ラップ(サーメ)の土地》と呼ばれているほどで、わしらは遠いご先祖様の頃からこの自然の中に住んで、こういう暮らし方をしてきたのだ。ラップランドは今のフィンランド、スウェーデン、ノルウェー三か国の北部全体をひっくるめた広大な地域だ。領土だの国境だのというものは、遅れて後からやってきた異民族どもがわしらの土地をわがもの顔に食いちぎり、わしらには一言のご相談もおことわりもなく、勝手に作りあげたのだ。わしらに何の拘束力があるだろう。
 わしらは、国家や私有地を持つなんて、考えたこともない。天も地も皆のものだ。部族ごとに生活の知恵豊かな長老にひきいられ、その時暮すのに一番適した場所を選んで移動してゆく。わしらの行動を縛るものは、自然だけだ。
(中略)
余談だが、わしらがラップ族とも呼ばれるわけは、サーメ語でフィンランド北部をラッピというが、そこにわしらの仲間がたくさん住んでいたので、後から連中が《ラッピの住民》という意味でわしらをラップと呼び、それがラップランドの語源にもなったのだ。だから、言わばそれはあだ名で、いくぶん軽蔑の感じもあるし、もちろんわしらはラップと呼ばれるのは好きじゃない。エスキモーたちが自分をイヌイト(人間)と呼んでいるように、わしらも《サーメ》ときちんと言ってもらいたい。それが一番うれしいのだ。

『ちくま哲学の森 1 生きる技術』より
『サーメの暮し』 ユーハン・トゥリ著/三木宮彦訳

- c said

アイヌが、自らをアイヌ語でただ「人」と呼ぶのと同じように、イヌイトも自らのことをただ「人」を意味するイヌイトと呼ぶそうだ。彼らはともに国境という概念を持たない。 かといって内と外の概念がないわけではなく、内なる部分、その核はひとりひとりの人間の肉体と精神に内在しているのだろう。それでいて自然というフィールドでは、むしろ自他の境界を強く意識し、厳しい規律を立てた生活が営まれていただろうことも想像される。 あくまでも自己を起点とすることで、自由に外界を渡ってゆく生命の姿は、誇り高く逞しいものに思える。だからこそ先住民と呼ばれる人々の間には、内と外が溶け合った、限りなく広い世界が見えたのではないだろうか。 そしてそれは世界各地の(もちろん日本も含む)先住の民、移動の民、ノーマディックの人々にも共通して言えることなのだと思う。このほとんどのことは、人に教えられたこと。

Sep
13th
Tue
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(前略)
是は少しく身邊(しんぺん)の私事に渉るが、自分の家には成長した子女が數名にあつた。それに對しての最も力強い助言者は、ちょうど折よく手を著けて居た、前代文化史の此部面の知識だつたのである。學問は生活の實際上(じっさいじょう)の要求に役立たぬ樣では、始める甲斐が無いとまで思つて居る自分には、少なくともこの範圍に於ては言行の一致を見たのである。日本民俗學の必要と可能性が、やや過分にまで適切に立證せられたのである。嬉しいことには相異ないが、其代りには學問の同期の卑近さを、見縊(みくび)られる懸念も無しとしなかつた。ところが大間知君の場合は全然別であつた。満足すべき婚姻生活は既に開始し、家にはまだ弧々の聲(こえ)が無い。乃ち第一の問題は夙に立派に解決し了り、第二の問題はまだ遠く地平線上に在るのである。その中道に在つて人の爲、又弘く人世の爲に、欠くべからざる参考資料を明確に整理し、出來るだけ容易に利用せしめんとするのである。たとへ分擔(ぶんたん)の量目は均等だとしても、之を提供しようといふ素志に至つては、著しい價値の差を認めざるを得ない。さうして之を正直に告白することが、亦共同者の義務であると思ふ。
昭和十二年一月
柳田國男識
(一部ルビを追加し、旧字体を新字体に改めた)

『婚姻習俗語彙』「序」より
柳田國男・大間知篤三共著/国書刊行会
昭和12年復刻原本/昭和50年印刷発行

- 薗會千博 c said

この序文の「學問は生活の實際上の要求に役立たぬ樣では、始める甲斐が無いとまで思つて居る自分には、少なくともこの範圍に於ては言行の一致を見たのである」という一文を読んだ時は、胸がすく思いだった。

そもそも、なぜ自分が民俗学に関心をもったのかと言えば、「このように生きたい」「人はこんな風にも生きられる」と思い描いた人の姿をそこに見たからで、なぜ記すのかといえば、私にとって記録の最終的な目的は詰まるところ、そのような記録を目にした人の心に動きが生じ、意志が働き、行動が伴い、変ってゆく人の姿が見たいからに他ならない。

先日のとある婚姻の場面で見かけた、沿道に並んだ嫗の涙だとか、花嫁を覗き見る子どもの瞳だとかに出会うと、そこに希望を見出す。キラリキラリと光るものが、夜の航海を導く星のようでもあり、暗闇の中の灯のようだと思ったりもする。

Jul
14th
Thu
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Hey Jude
Songwriters: Mccartney, Paul; Lennon, John;

Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

Hey Jude, don’t be afraid
You were made to go out and get her
The minute you let her under your skin
Then you begin to make it better

And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
Don’t carry the world upon your shoulders
For well you know that it’s a fool who plays it cool
By making his world a little colder
Na na na, na na, na na na na

Hey Jude, don’t let me down
You have found her, now go and get her
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

So let it out and let it in, hey Jude, begin
You’re waiting for someone to perform with
And don’t you know that it’s just you? Hey Jude, you’ll do
The movement you need is on your shoulder
Na na na, na na, na na na na, yeah

Hey Jude, don’t make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her under your skin
Then you begin to make it better
Better, better, better, better, better, oh!

Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude
Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude

Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude
Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude

Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude
Na na na, na-na na na
Na-na na na, hey Jude

Jul
11th
Mon
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お話リレー「たとえば こんな理想郷」

理想郷は地平線の向こうにあるものだと思っていたけれど、
私のそれは風が吹くなだからかな丘陵にあるのかもしれません。

野草が繁り、果樹園があり、
たくさんの鳥や虫が訪れる場所。
自立した人々が住むところ。

7月8日の夜、神保町にある食堂アンチヘブリンガンで小さな集いを催しました。
「みつばちの木箱」の活版本が6月に完成して、自ら届けたい方々に声をかけてお祝いをしてもらいました。我ながらかなり積極的だなと思います。
冊子の紹介と宣伝はまた次回に書くとして、震災以降、人があつまるということ、人が会うということ、話をすることの大切さを感じています。しかも利害関係のおつきあいではなくて、自分の考えをもちよる場が必要な気がしています。

こんな一軒家があったらと思います。

(via みつばちの木箱「もちよる、あつまる、みつばちの集い」

東京の神保町という町に、8匹の愛らしい蜂が集まりました。

そこはアンチ・ヘブリンガンという名前の小さな食堂で、
白い木枠のはまった素敵な窓辺がありました。
たくさんの書物に彩られた、パノラマの窓。

ふだん八匹の蜂はめいめいの場所で、
せっせと蜜を集めているのですが、
この日は特上の蜂蜜をつくった蜂がいたというので、
それぞれに集めた蜜を持ち寄って、お祝いしたのです。

蜂たちは思い思いの蜂蜜を交換して、
会えない日々に起きたことを語り合いました。

どの蜂にも、雨の日、風の日、晴れの日がありました。
話は尽きそうにあり ません。

食堂のおかみさんは、魔法の粉をふりまき、
彼らに栄養たっぷりのおいしい食事を用意しました。

そして、すっかり満足した蜂たちは特上の蜂蜜を持って、
再びそれぞれの家路に戻っていったのです。

Mar
24th
Thu
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開拓失敗の歴史

(前略)
 八草のように、とうとうたえきれなくなって、にげ出したところには、はじめから人は住まなくてもいいではないか、という人があるかもわかりません。汽車や電車に乗ることができたり電灯のあかあかとついているところに住むほうがよいではないか、というかもわかりません。しかし、やっぱり山のなかにも住まねばならぬようなわけがあったはずです。
 おそらく、八草のようなところへ人が住みつくまでに、長い歴史があったと思われます。はじめ海岸や平野に住んでいた人たちが、だんだん山奥に住むようになったのは、はじめは夏だけそこに出(で)づくりをしていたのがいつかそこに住みつき、人口がふえるとまたその奥に出づくりをして、やがてそこに住みつく。そして知らぬあいだに山のずっと奥まで村をつくっていったのでしょう。ときには、住みにくいところにまで住もうとして失敗したことも少なくないようです。
 しかし、人は失敗にこりないで、やはり前進をつづけて、国のはしばしにまで村や町をつくりあげていったのでしょう。しかも、そういう失敗の歴史こそ、私たちにはとうとい手本になりました。あるいは、失敗の歴史の上に私たちはたっているのかもわかりません。
 いったい私たちの住んでいる村がいつからそこにあったのか、また私たちの家がいつからそこにあったのかを考えてみると、このようなうたがいがおこってくるのです。

— 『ふるさとの生活』宮本常一
「一 ほろびた村」より
1 開拓失敗の歴史
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津波

 岩手県の三陸海岸は津波の多いところで、海岸にある村が、何十年目かに一度さらわれてゆきます。この海岸は、山が海にせまり、よい港はたくさんあり、漁をするのも便利なのですが、田や畑をひらいて百姓をするには不便なのです。ですから、ほとんどの人が漁をして暮らしているので、どうしても海辺に家のあるほうがつごうがよいのです。長いあいだ、津波もないから、もういいだろうなどと思って、海辺に家をたてているとひどい目にあいます。あわてて山のほうへ家をたてて住んだのですが、いつかまた海辺へ家をたてるようになる。するとまたひどい目にあう。それをくりかえしているにすぎません。そして、やはりそういうところで平和な日をたのしむことも多いのです。
 このようにいつ天災があったか、またいつ大きな出来事があったか、ということのわかっているものもたくさんありますが、もうすっかり人の忘れてしまっているようなことがずいぶんたくさんあります。

<図/岩手県気仙郡唐丹村(けせんぐん・とうにむら)。昭和8年以前の村、昭和8年以後の移転した村、昭和8年に津波のおしよせてきた線>

『ふるさとの生活』宮本常一
「一 ほろびた村
より
3 村をほろぼした原因
Mar
17th
Thu
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日本は狭い、小さい、人がいっぱいだ、というゆようなことをだれでもいうが、近ごろできた全国の土地利用図などを見ると、どこもかしこも空地だらけである。

どういうわけでこれがそんなに窮屈なのか。まだほんとうのことを説明してくれる人がない。私たちは自分でこれから、それを考えてみなければならない。たとえばここから東のほうへ何十里、または西へ南へ何十里、そこにはどんな村があり、どういう社会があるのか、あの山脈の向こう側には、いかなる生活が営まれているのか。

今はまだ知っている人が少ないが、それを想像してみようとするような若い人々が、たくさん出てこなければ、国はけっして団結することができない。国を一つの大きな問題として、皆で考えてゆくためには、もう少しおたがいがよその土地のことを、知っていなければならぬのであった。

もちろんどこでも同じだということは多かろう。なかにはそんな小さな点まで似ていたのかと、驚くような場合もきっとある。しかし一方にはまたまるで気のつかなかった、変わった珍しい事実が、あるということもだんだんに知られてくる。私たちが人生に目を開くというのはこのことである、ちょうど身体が食物によって養われるごとく、こういう知識の補給がなかったら、人の心は伸び伸びと成長してゆかない。

―『ふるさとの生活』宮本常一著より
「旅と文章と人生」柳田國男

- c said

これが昭和25年の文章である。
戦前戦後の生活誌、またそれに寄せた文章を読むたび、 いつもいつも「今となにが違うのか」と思っていた。
ある人に聞かされた話だけれども、ある時、ある場面で宮本常一さんは「学問は、即効薬ではありません」と言ったという。
学問は即効薬ではないけれど、根本的な、普遍的な問いを投げかけている。少なくとも、本来目指すものは、そのはずなのだ。
わたしは青春時代を含めて十年以上、東京に住み、愛着がある。とりわけ、人にはそれがある。
また現在都市化した場所であっても、ほんの数年前までは農地であった場所、今現在もそうである場所がある。
この話は、それらも含めてのことなのだ。

Nov
24th
Wed
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汲む ―Y・Yに-

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

―『鎮魂歌』茨木のり子


自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

―『自分の感受性くら』茨木のり子

- c said

詩はいい。
それが偽りようのない心から発した言葉であり、
その人の真実であり、性根であるから。
またそれがどんなに閉じた世界に思えても、
必ずその言葉は外へ向かっているから。
偽った心からは詩が生れない。
偽った言葉にその人の心はない。
歳月を重ねてなお、
自分の詩を途切れさせないでいることは、
案外に難しいことなのだろうか。

Nov
8th
Sun
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 だれにも夢とかあこがれというものがある。ことに芸術家の場合はそれぞれの個性によって異なる所はあるにせよ一般の人よりも強いのではないだろうか。しかし、そうしたあこがれは年齢と共に変化する。一般人の場合は社会の約束事にとりこまれることによっておおかた若い日のそれより力を弱めるものだ。
芸術家でも年齢を加えるにつれ自分の力量というか仕事の限界がみえてくる、するとある者は一般の人同様その熱っぽさが薄れるか、あるいはそんな自分を意識的にふるい立たせようとして苦しむ。
 尾崎喜八という詩人のふしぎはこのあこがれが終生少年のときのような純度を保ちつづけたところにある。

(中略)

 私には ときどき 私の歌が
 何処かほんとうに遠くからの
 たよりではないかという気がする。

 北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで
 苔のような貧しい草が
 濃い紫の花から金の花粉をこぼす極北、
 私の歌はそこに生れて
 海鳥の暗いさけびや 海岸の雪渓や
 森閑と照る深夜の太陽と共に住むのか、

 それとも 空一面にそよかぜの満ちる
 暗い春の夜な夜なを
 天の双子と獅子とのあいだに
 あるとしもなく朧に光るペルセペの星団、
 あの宇宙の銀の蜂の巣、
 あそこが彼の本国かと。

 ─「本国」─

— 『季刊銀花』1993年 冬 第九十六号
特集「高嶺の花 —山と人と書物をめぐる」
雲の上の文庫「尾崎喜八素描 その詩の世界—」
伊藤海彦 p.40 五 遠望
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(前略)

喜八という詩人にはすべての詩にこうした思いが形を変えて通奏低音のようにつらなり響いている。ある人はそんな一寸したことで一日が平凡でなくなり、なにか抜群なものと結びつくなどというのは楽天的に思うかもしれない。実際にこの詩についてではないが、喜八をそう見ている評論家のいるのを私は知っている。しかし、これは単なる比喩ではなく、この詩の通り喜八という詩人はこうしたほんの小さな自然からの贈り物で一日が平凡でなくなったと確信出来た人なのである。そして、その一日をたしかにそう感じたままに生きることの出来た人なのだ。
私にいわせるなら羨やむことはあっても、からかいを含んだ口調で楽天的と片づけることはできない。

(中略)

その描写は観察にうらづけられた的確なものだが、思いうかべながら詩人は自分の内部にその雉の姿をとりこむ。そしていつか雉と一体となって自分の生きる姿勢を再確認する。

(中略)

 いま 野には
 大きな竪琴のような夕暮が懸かる。
 厳粛に切られた畝から畝へ霜がむすび、
 風の長い琶音がはしり、
 最初の白い星がひとつ
 もっとも高い健を打つ。

 ─「冬野」─

広大な自然の運行を前にしたときも、この詩人は微かな贈りものを受けたときと同じように新しい力をうけとる。そして

 冬は古代のようにひろびろと枯れ、
 春はまだ遥かだが
 予感はすでに天地の間にゆらめいている。

と感じる。もっとも高い健を打つ最初の白い星に呼応して詩人自身の内部で見えない竪琴が鳴りはじめるのだ。

— 『季刊銀花』1993年 冬 第九十六号
特集「高嶺の花 —山と人と書物をめぐる」
雲の上の文庫「尾崎喜八素描 その詩の世界—」
伊藤海彦 p.38 四 竪琴